木を見るように人を見ていたい
木を見るのと人を見るのは似ている
と思うことがある
離れて見ていると細かいことは分からない
近づきすぎると全体が分からない
その木を知ろうとして
離れて全体を眺めてみたり
少し近づいて枝葉を見てみたり
さらに近づいて花や葉脈や幹の肌を観察してみたり
でも木には根がある 地中に隠れている
根っこを知ろうとすれば土を掘らなければならない
それは木を傷つけてしまうことになる
根は地上に見えているものよりさらに大きいので
すべてを知ることはできない
木のすべてを知ることは所以不可能だと思っている
人に対しても同じことで一部を知ることはできるかもしれないけれど
その人がどういう人なのかは結局のところ誰にも分からないと思っている
本人にすら分からないと思っている
また、人は多面性の生き物なので、置かれている環境や場面で出てくる人格も変わってくるから余計に分からない
だから先入観や一面だけを見て人を決めつけず
いま目の前にいる人の存在そのものを感じられる適度な距離感で
できたらゆとりを持って優しい気持ちでいつも見ていたいと思う
そう思うのはきっと自分自身が誤解を受けやすいタイプで
昔から自分では思ってもないようなことを言われたり決めつけられたりすることが多かったからだろう
いまでも他者とのコミュニケーションは必要最低限で生きているけれど
自分自身は
木を見るように人を見ていられたら。。。と、そうなりたいと思っている
なぜこんなことを書くかというと
アイドルみたいにたくさんの人に見られる華やかな職業には誤解もつきまとい易く
その誤解が若い心にはより苦痛に感じることも多いと分かって
応援している子が落ち込んだり悲しんだりしているのを見ると
ファンはもう少し優しい視点で見守ってあげたら良いのにと
余計にそう思うようになった